ぼんやりとした思索

ある暇人が、脈絡もなく、おもいつきで書き綴るブログ。

散歩中のおじさんがもつ、ブレない軸について

純文学系の作家というと、たいてい研ぎ澄まされた人物、というイメージがある。

たとえば、教科書などで芥川龍之介の写真をみると、もう顔自体から刃物みたいな印象をうけるし、三島由紀夫なんて筋肉ムキムキで日本刀を構えてる写真が有名だ。

だから私も、ながらく純文学といえば、そういう何か鋭いものと思ってきたし、またそこが好きでもあった。

そういうイメージが覆されたのが尾辻克彦著『父が消えた』という短編集だった。ここに収められた表題作の「父が消えた」という作品は芥川賞を受賞した、れっきとした純文学作品なのだが、この作品の空気感が、今までに読んだほかの純文学作品とは全く違っていた。

「鋭い」感じの作品のなかで出くわすのが、目をギラギラさせた居合抜きの達人たちなら、この作品で出くわすのは散歩中のおじさんなのだ。

夕暮れの河川敷で、むこうからコンビニの袋をぶらさげたおじさんがやってきて、フニャっとした笑顔をうかべて「いやあ、元気ぃ?」なんて言ってくる感じなのだ。

最初読んだとき、そのゆるさに物足りなさを感じたのだが、二度、三度と読むうちに、そのゆるさの中にもきちんと軸があることがわかってきて、どんどんハマっていったのだった。

これはまさに、私が憧れるフワフワ感に関して重要なイメージを与えてくれる作品なのである。