私の実践‐「~ねばならない」からの逃走
私はどうやら自分をがんじがらめにする天才であるらしい。
たいしたことないことまで、まるで自分の義務であるかのように考えて、結局やる気を失って、へなへなしてしまう。
例えば、冬、温まった布団から出なければならない時、その用事を義務のようにとらえてへなへなしてしまう。「トイレに行かねばならない」「起きて飯を食わねばならない」。
私はそういう自分を変えたくて、ひそかな抵抗をしている。題して、「~ねばならない」からの逃走。
自分が何か、そういう、外からの圧力みたいなものを感じている間は、決してそれを実行しない。「~ねばならない」と、あまりしたくないことに対して強迫観念みたいなものを感じている間は、じっと虚空をにらんで仰向けに寝ている。そして、つい実行しそうになるときには、そんなことをいったい誰が決めたのか考える。すると、そんなこと分かりっこないから考えるのがめんどくさくなる。そのころにはもう「~ねばならない」圧力はどこかに行ってしまっているから、別に誰から強制されるわけでもなく、次の行動に移れる。人は尿意を感じればトイレに行くのだ。
と、こうスラスラ論じると簡単なことのように思えるけど、実際には結構難しい。「~ねばならない」に屈してはならないとか言って肩に力が入ると、それはそれで「~ねばならない」に縛られる。
あくまで自然に、何の自意識、自己反省もなしに、あたかも魚が泳ぐかのように行動せねばならないのだ。