流行おくれかもしれないけど…
いまさら感が強いけれど、「あまちゃん」について考えた。
ヒロインのアキちゃんは東京ではいじめられっこだった。学校では無視され、家では部屋に閉じこもってネガティブなポエムを書くという暗い子だった。それが、北三陸で海女クラブの人たちと出会って、云々、という話だった。
あれってやっぱり示唆に富んでいると思う。
目の前の現実に行き詰ったとき、そこから逃げずに戦うというのは必要だけど、でもやっぱりそれだけでは苦境を切り抜けられない。いや、それで切り抜けられるならたいした苦境じゃない。本当の苦境とは、気合や根性だけではびくともしない、そういうものだろう。
ここで視点を少しずらしてみる。じゃあなんで人は、そんな、心がけだけではどうにもならないところまで追いつめられるのか。というよりも、そんな風に追い詰められているとは、いったいどういう状態なのだろう。それはきっとこうだと思う。
その時自分が一番楽でいられる自分、アキちゃんの例でいえば、東北の豊かな自然の中で大声出したり、なまってしゃべったりして、のびのび生きている自分、そういう自分でいることが他人から認められていない状態のことだろう。自分が一番楽な状態、余計な神経を使わずにのびのびしていられる状態にいるとき、人間は一番力を発揮できる。そして何より、そういう自分でいてよいと周りの人が認めてくれているときに、最も元気でいられる。追いつめられている状態とは、その、認めてくれる他人がいない状態、さらにはそれによって自分が楽でいられる自分がどんなだったかわからなくなってしまった状態のことなのだと思う。
壁があっても、乗り越えるパワーがわいているときには、意外とどんどん乗り越えられる。でもパワーがわかない時には、ちょっとまたぐくらいの高さの壁でさえ乗り越えられなかったりする。
そんなことをつらつら考えた。うーん、やっぱり「あまちゃん」は示唆に富んでいるなあ。