ぼんやりとした思索

ある高等遊民が、脈絡もなく、おもいつきで書き綴るブログ。

ニートについて思うこと

まあ、私、ニート歴七年半なんですけど。

最近、ニートに関して、ある結論みたいなものに達したんです。

それは、

 

ニートってつまらない

 

ってことなんです。

 

この「つまらない」って言葉、日本人なら普段よく使ってるとおもうんですけど、

よく考えてみると、微妙にニュアンスの違う使い方があると思うんです。

試しに、手元にある『デジタル大辞泉』(小学館)を引いてみます。

 

①面白くない。興味をひかない。例)つまらない映画

②とりあげる価値がない。大したものではない。例)つまらないものですが、お収めください

③意味がない。ばかげている。例)つまらないうわさ話で時間をつぶす

④それだけのかいがない。ひきあわない。例)ここでやめたらそれこそつまらない

 

だそうです。

これを順番に、さっきの結論に当てはめてみましょう。

ニートは面白くない。

その通りですね。さすがにもう飽きました…

ニートにはとりあげる価値がない。

ま、まあねえ…でもとりあえず私のつまらない話にはもう少しお付き合いください。

ニートには意味がない。ばかげている。

…ここまではっきりいわれると、ちょっと腹が立ってきました、一人のニートとして!まあ、いいや、次。

ニートには、それだけのかいがない。ひきあわない(割に合わない)。

これ!これなんです、私が言いたいのは。

 

ニートは割に合わない。

 

そうですねえ、その通りですねえ。

 

私の言いたいことをもっとはっきりさせるために、ここでいう「ニート」がどういうものか、もう少し意味を限定しておきましょう。

 

私はいわゆるニートのことを言っているわけではないんです。

”いわゆるニート”ってのは、例の、働いていなくて、就学もしていなくて、職探しもしていないっていうアレのことです。

それっていわば客観的な状態ですよね。

 

私が言いたいのは、もっと主観的なこと、メンタル的なことなんです。

 

ぶっちゃけ、事情が許すなら(かじるスネがあるなら)働かなくても、学校に行ってなくても、職探しをしてなくてもいいじゃないですか、別に。

それよりも問題なのは、そういう状態にいる本人が、なんかこう、自分がそういう状態にいることにパニクっちゃってね。もう、読書も、散歩も何もできなくなっちゃう。

 

それこそが「つまらない」「割に合わない」。

 

今やいろんな人が言ってますけど、これからの世の中で幸せに生きるってことは、必ずしも、今まで日本社会で共有されてきたように見える「温かい家庭を持つ」とか「大企業に就職する」とか、そういうことだけには収まらなくなっていくわけです。もっと具体的な自分のニーズに合った生活をすること、要はなるべく好きなことだけして生きていくこと、になっていく、というかなってきているわけでしょう。

 

考えてみれば、ニートが、自分がいわゆるニートの状態(働いてない云々)にいることに悩む、焦る。それってつまり今までの日本社会が共有してきた価値観「温かい家庭」とか「大企業」とか、そういうものに自分が与れてない、やべぇ。そう思うから悩むし、焦る。

 

そもそも、みんなが、共通して求める価値に向かって、位置についてよーいドン、で競争する社会が終わりつつある。そういう時に、よしんばそういう社会が続いていたとしても、どのみちスタートで出遅れてるニートが、どうしよう、どうしよう、って悩んでる。

 

それってちょっと滑稽ですよね。

 

今彼がなすべきは、もう古い競争には見切りをつけて、新しい競争に身を投じることじゃないですかね。

 

そういう意味で、いま、「自分がニートであること」に悩むのはつまらない。それよりも、自分がやっていたいことを焦らず騒がずやっていた方が、精神衛生的にいい。それに、そういうふうに満ち足りて生きてる人の方が、これからの社会でツキを呼び込みやすい。

そんなふうに思うのであります。